2009年 07月 03日
映画『鞠の行方』(1930)大阪・浪速で上映会決定!
★ 差別と向き合った営み

      戦前の西濱を見つめる ★

 ●  80年以上の部落問題の教育映画の傑作  ●

    『毬の行方』  上映会!!!!

 日時; 8月4日 火曜日   6時半 開演
 会場; 浪速区人権センター5階集会室 JR環状線「芦原橋駅」南口すぐ
 料金;無料  資料代500円
 主催;『毬の行方』上映実行委員会
 (部落解放同盟大阪府連合会浪速支部、あとりえ西濱、人権ジャーナリストの会、なにわ人教育  ネットワーク)
 後援;ジャーナリスト・ネット
 問い合わせ; 06-6568-0941(浪速支部)

   ※    ※    ※

 世界大恐慌の時、1929年に大阪の浪速区・西成区でオールロケで撮影、傑作と言われた教育映画『毬の行方』(まりのゆくえ)は、大阪の教育映画製作会社が80年以上も前に「西濱」(浪速・西成)地域の子どもたちが出演。本当の俳優は一人しか出ていません。製作会社は萩之茶屋にあった「サワタ映画」で、1928年から被差別部落への差別問題をテーマとしたものなど、数多くの教育映画を製作していた会社です。
 この映画は、大不況による貧富の格差の拡大、社会矛盾の激増、出口のない混迷から右傾化・軍国主義へと突き進んでいく時代を背景に製作されています。
 100年に1度という不況と首切り、貧困と格差の発生、時代があまりにも写りすぎているこの時代に、80年の時を経て『鞠の行方』という映画を「西濱」の地で上映することに幾多の想いがたぎっています。
 80年の時間を経て、その51分の貴重な映画・映像が「西浜」の地で上映されます!映像は様々な当時の人々の暮らしや町並み、風景、融和同情色濃い当時の教育の限界や世界を白いスクリーンに映し出しています。
 ちょっとすごい日本教育映画の創成期の部落問題を扱った貴重な映画の上映会と講演会のご案内です。ぜひ、みなさまご参集くださいませ。



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 主催者の想い

「答えを与えてくれる映画と課題を提起してくれる映画」

 昨年8月15日解放出版社から「アジア・太平洋戦争と全国水平社」という書
籍が出版されました。著者は、朝治武さん(リバティー大阪学芸員)です。戦前
の大恐慌以降、アジア・太平洋戦争の中で戦前の水平運動がいかに困難で、複雑
な課題を抱えながら、部落差別撤廃へ向け運動を進めようとしていたか、その歴
史を刻銘に解きほぐしています。部落解放運動にとっても今日の課題に適応する
運動の転換が求められている時、この著書は多くのヒントと視点を与えてくれて
います。
 著者は、「本書を書き上げた今、次のような想いがする。」として、その第四
点目に次のようにまとめています。「第四は、アジア・太平洋戦争の全国水平社
および部落民衆はいかなる形態であれ正面から部落差別に向き合い続けたことを
確認することができた。アジア・太平洋戦争という困難な時代状況においてさえ
、部落民衆は何とかして部落差別に向き合おうとした。また、全国水平社の影響
力が低下して最終的に消滅すると、かえって部落民衆は自主的に多様な活動を始
めることになった。奇妙に思われるかもしれないが、私にはアジア・太平洋戦争
期の部落民衆に部落差別に向き合う活気さえ感じられた。しかし、この活気さえ
も本書でも繰りかえし事実を紹介した戦争協力と表裏一体の関係にあったことは
忘れてはならないであろう。」

 「西濱」においては、この戦争により街が焼かれてしまい、人が亡くなり、あ
るいは離散し、多くの文化や伝統が失われ、戦後の復興の中で貧困と差別が放置
されました。そして、部落解放運動がその課題に正面から取り組み一定の成果を
生み出しました。しかし、法律の失効とともに、成果を生み出した仕組みが、一
部は今日の課題を引き起こすものとなっているという感じさえするのは極端でし
ょうか。その上に、新自由主義による競争原理の乱暴な持ち込み、その破綻とし
ての100年に一度という不況や、地方財政の危機が、今日の部落の課題を解決
できない野ざらしなものとして存在させているというように感じます。
 歴史のアイロニーとは、実際はこのようにして生み出されるのでしょうか。
 そうしたことに気づく感性を私たちは持つ必要があります。
 この映画の中で、部落差別に向き合った部落民衆の姿はどのようなものであっ
たのか、そしで、あまりにも時代が重なる今日、私たちは、日々人権問題への取
り組みを進める中で、約二時間、映画・解説講演に向き合い考えたいと思います。
 「いま、部落民衆はどのように差別と向き合おうとしているのか、見つめなお
してみたい。」「私たちはどう見つめなおせばいいのか、問い直してみたい。」
そうした機会となるようこの映画会を企画しました。また、多くの地域の先輩方
々、高齢者の皆さんも大いに関心を持たれている上映会でしょう。戦前の地域の
様子を記録した映像を見て、貴重な聞き取りやお話を伺える端緒となりそうです。
 大阪のこの地で部落解放運動の方向を考える上で振り返っておかなければなら
ない映画であることは間違いないと考えます。
 この映画により課題が提供され、論議が深まるよう期待します。



    ※   ※   ※


「最高の人間を平易にしかも溢るる

      興味の内に深解せしむる一大雄篇


 『毬の行方』出来

 融和促進映画の品の薄いことは當該要路の人の心の心痛する虞であつた。余り露骨な表現も不可。反對なるも不可、創作家はあっても問題文藝の創作家がない。従つて映画も出来ない。こうした考へからさらに中央融和事業協會にあつては懸賞募集によって之を求め、夫々入賞決定の上發表せられたが、これの映画製作の成るに先達つて一足お先に世に出たのはまさしく『毬の行方』である。この原作は少女倶楽部に連載され全國百數十萬の若き早乙女の胸を鳴らした佐藤紅緑氏作の『毬の行方』である。全六巻から成り従来の映画に比較して垢ぬけした點が認められる。其主人公たる貧しい馬子の娘一子の生活は常に明き氣分を持ち内面的であり、精神的であり、自律的であり、精神的であり、構成的でありと谷本富博士をして讃嘆せしめたものである。その大骨となるべき筋は一子に対する隣保の同情恩師矢澤訓導の絶へざる訓誠、友人禮子父母の同情、父安兵衛の慈愛、運動會にて得たる一子の發奮と自覺、友人の恩人禮子に對する報謝、反逆の友幸枝の侮悟等々を物の見事に織り雑ぜて表したるものであって融和促進映画として又教育映画として好適のものである。本會に於いても真先きに購入して利用すべく夫々取運び中である。」


(『融和時報』1930年3月1日より転載)

   ※   ※   ※

 あらすじ;秋晴れの午後の校庭では、六年女子組の生徒たちが楽しそうに鞠遊びをしていました。
その脇でひとり 編み物をしているのは、馬方の娘一子でした。幼い頃母を亡くした一子にただ貧しいというだけで、いじわるをする生徒もいます。ここでも、鞠がみえなくなった時、疑いの目が一子に向けられましたが、ただ一人画家の娘禮子だけが一子の味方でした。
 運動会の前日、一子の父安兵衛は、娘に洋服を買ってやろうと走り回ったのですが、思うようにいかず、酔っぱらって一子を悲しませるのでした。全校生徒の中で、洋服姿でないのは一子だけでした。しかし、そんな事より父親が酔っぱらって喧嘩したりする事の方がずっと恥ずかしいと言われた安兵衛は改心して、翌朝、運動会へいく一子の為に卵を買い、おいしいお弁当を作って持たせました。
 競技は進んで、六年女子の決勝戦となりました。全校の花形、裕福な重役の娘幸枝との対決です。一子は、そんな幸枝に自分なんか何をしてもかなわないと決めつけていたのですが、禮子に励まされて貧しい者は金持ちに勝てはしないーーそんな世間の常識を、全身の力ではね返し、到々幸枝を負かし一着とあったのでした。
 やがて、卒業が間近かとなり、皆それぞれ進む道を決め禮子は女学校へ、そしてその禮子の父の好意で到底望めそうもないと思っていた女学校へ一子も一緒に通えることになりました。しかし、卒業式の日、誰よりも一子の卒業を喜んでくれた父が、卒業証書を手にしたまま逝ってしまったのでした。度重なる不幸な境遇の中で、一子はどう生きたのでしょうか。そこには暖かい友情と恩師の正しい人の道の教えがあったのです。人の幸福は鞠の行方と同じです。心を落ち着けまず足元から始めなさいとーーー。

   ※   ※   ※

 沢田順介
 1930年製作の映画『鞠の行方』は、日本無声教育映画の最高傑作と言われています。大阪市西成区西萩にあったサワタ映画製作のこの映画は、周辺に住む児童を多く出演させ、本当の俳優は一人しか出演していない映画でロケ地も大阪市内の西濱部落一帯だったと考えられます。
 サワタ映画製作所は被差別部落や在日朝鮮人部落に隣接した立地条件、1928年という早い時期に独自に部落問題に取り組んだ教育映画『人の子』を製作するなど、非常に特徴的で興味深い会社です。
 サワタ映画製作所はこの『鞠の行方』の監督、沢田順介によって1918年に設立されています。沢田は『ヤマト音映』をへて独立、『さすらひの少女』『丘』『阪を行く』『かひなき犠牲』『努力の人』『浪速の二千年』などの「勤倹節約奨励映画」や「工場災害防止映画」などの教育映画や内務省社会局、在版企業のPR映画などを多数発表しており、『彼等は何を得たか』を28年にクランク・アップさせた直後の夏、火災に見舞われ、全ネガを消失させてしまいました。会社復興の第一弾として並なみならぬ決意をこめて製作された作品が、この『鞠の行方』なのです。この作品は、中央融和事業協会との関係をさほど持たずに純然たる教育映画として製作され、全国で上映されています。

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日時; 8月4日   6時半 開演

会場; 浪速人権センター5階集会室 JR環状線「芦原橋駅」南口すぐ

料金;無料  資料代500円

主催;『毬の行方』上映実行委員会

 (部落解放同盟大阪府連合会浪速支部、あとりえ西濱、人権ジャーナリストの会、なにわ人教育ネットワーク)

後援;ジャーナリストネット

問い合わせ; 06-6568-0941(浪速支部))

映画解説と記念講演; 30分程度

「映画と浪速・西成 日本映画の誕生と『毬の行方』の時代」

 講師;北口学さん(人権ジャーナリストの会事務局長・あとりえ西濱講師団)

 日本映画の誕生。あまり知られていないでしょうが、京都に移転するまでの大阪浪速・西成がその本拠地だったと言えるかもしれません。数多くの活動写真・教育映画製作プロダクションが存在し日本映画産業と教育啓発をリードしてきた時代は、世界大恐慌の時代と重なります。1929年に「西濱」でオールロケで製作されたこの映画の時代背景と日本の映画産業創成期の世界と地域・時代を、この映画を発掘された民衆人権映画史を研究されてこられた北口学氏に興味深い背景、「この映画の意味と我々は何をこの作品から学ぶのか」など講演いただきます。

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by hrosaka056 | 2009-07-03 05:31 | Trackback
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